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祖父の昔話

今日風呂上りに祖父の昔話に付き合っていたのだけど、その話によると2回ほど超ヤバイ危険フラグを踏みかけたのを回避したようです。

元々は裕福な家に生まれたのだけど、昭和恐慌の時に親(私からすると曽祖父)がその煽りで破産して・・・ってのはまあ良くある話なんで置いといて、最初の重大分岐点は満州事変の後。曽祖父の知人が満州に行くというので曽祖父も行く気満々で準備をし始めるのですよ。でも曾祖母が反対してお流れに。満州に行ってたら終戦時の混乱でえらい事になってたよ・・・。
その後成人して徴兵検査の時に不合格になって徴兵されなかった・・・ってのも置いといて、昭和14年に徴兵されて(いわゆる赤紙ですな)松山の歩兵第22連隊に入営して中国に出征したそうです。上海から上陸して主に揚子江流域を転戦して1年ほど警備任務に当たってたそうで。
それから除隊して帰ってきたのだけど、徴兵前の仕事の練炭工場(曽祖父がやってた)はベトナムからの隅の輸入が途絶えて廃業の憂き目に。仕方なく今治の親戚の所で今の家業を覚えて大分に渡ってきたのだけど徴用令がでて、徴用の為の検査で集められたはいいが、見えない左目の検査に医者に行ってる間に作業が終わってしまい徴用されずに済んだ。徴用されてたら炭鉱とかに派遣されてたかもしれなかったそうで。

その後、戦争中大分には海軍の航空隊と航空廠があったのですが、その航空廠に志願して初め零戦の整備、後には部品の調達とかしてる軍属になってたそうなので すが、その頃はバンバン赤紙が出されてた時で、でも徴兵されて抜けられると工場が困るので徴兵猶予願いを出してたそうなんですよ。そこが第2の分岐点。徴兵猶予願いを出していなかったら松山22連隊に徴兵されてたはずなんですが、松山22連隊って中国転戦の後、満州、それから沖縄に配置されてるんですよ、 沖縄に。
松山22連隊は第24師団に所属して嘉数の戦いなど力戦して最後には全滅しちゃうのですよ。当然徴兵されてたらまず戦死確定。早期に徴兵されてたらまだ結婚してなかったので父は生まれず、当然私も生まれず。徴兵猶予願い1枚が戦死フラグを回避したわけですよ。
本人曰く、運が良かった。いやまったくその通りで。練炭工場時代の同僚はほとんど戦争でしんでしまったそうで、親戚で一番中の良かった人は徴兵されてビルマ(現ミャンマー)で戦死したそうですよ。
中国に戦争に行ってたのは聞いてたけど、そんなヤバイ分岐点通ってたとか初めて知ったデスヨ。

終戦後、今の家を買ったときの話とか車運転したこと無いのに運転免許取りに行ったりとかの話も聞いたけどそれはまた別のお話。

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