« 本日の昼飯であります10/8 | トップページ | 最近やってるオンゲは »

大友氏遺跡現地説明会

061008_110402 本日大友氏遺跡現地説明会に行ってきました。大友氏遺跡というのは、大友館跡と大友家の菩提寺である万寿寺の跡のことです。発掘が進んで大友館遺跡に万寿寺遺跡が加わって改称されました。画像は大友館の主殿付近と推定されている発掘現場。大友館遺跡そのものは200m四方くらいの大きさになるそうです。

結構人も集まっていて中々盛況でありました。この部分の遺跡、江戸時代くらいから増えてくる大広間形式の建物のはしりのような建物だったのではないかと言っていました。

061008_105301_1 砂利を敷いて整地してあると見られる層。 この時代になるとこう念入りに整地して建築するのは珍しいそうです。

この大友館は大友宗麟が息子の義統に家督を譲った時期に建てられ、1586年に島津氏の侵攻時に焼失しました。その時の焼土なども検出されたそうです。その後館が再建されることは無く、発掘でその後一部敷地は町屋になっていることがわかっているそうです。弱体化した大友家にはもはや再建する余力が無かったのかもしれません。

午後の部はコンパルホールで特別講演とパネルディスカッションがあったのですが、あまり体調がよろしくなかったので特別講演だけ聴いて帰りました。苅谷俊介さんの講演だったのですが、いやぁ、真顔で間違えるので参りました・・・とりあえず真嶽城と鹿鳴越城の説明が逆だったということだけ指摘しておきますorz
まあスライドの字がつぶれ気味だったから・・・と言えないこともないけど真嶽城と鹿鳴越城じゃ縄張り図全然違うしなぁ。場所は近所だけど。

そういや自作資料で勢ヶ場原合戦の大内方主将が陶隆房ってなってるけど、これって父の興房の間違えなんじゃないの?と思って帰ってから大分歴史辞典見てみたらこっちも隆房ってなってるな。でも隆房って生年1521年ってなってるんだが。勢ヶ場原合戦って1534年だぞ。いくらなんでも早すぎるんじゃないか?ちなみに興房は1539年没。辞典の方が間違ってるんだろうな。他でも興房って書いてるはず。資料引っ張り出してくるのがめんどいので確かめてないけど。

・・・古城の勢ヶ場原合戦ページはどうなったって話は無しの方向でw県北の地形図はまだ持ってないのよねw
まあ無くてもやれないこともないけど。

« 本日の昼飯であります10/8 | トップページ | 最近やってるオンゲは »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/184855/12202074

この記事へのトラックバック一覧です: 大友氏遺跡現地説明会:

« 本日の昼飯であります10/8 | トップページ | 最近やってるオンゲは »

2016年6月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

twitter